黒い夜（残月）
十傑集ともなれば私邸を持っている者も少なくない。
アルベルト然り、セルバンテス然り。
残月もまた、本部からは少し離れた場所に豪奢とはいえないがこじんまりとした自宅を持っていた。
数日くらい任務が空いたときにこの家にやってきて、ゆったりとした安楽椅子に腰を下ろし、
レトロな蓄音機でお気に入りの音楽をかけ、本などを開いているのが一番安らかな時間だった。
夕方ごろから降り出した雨は夜になってもやむ気配がなく、月も星も見えぬ闇にただ雨音だけが
残月の家を包んでいた。
その雨音を遮ったのはノッカーの音。
まだ休暇の初日だというのに、アシスタントあたりが急用を告げにきたかと残月は重い腰を上げる。
重厚な造りのドアを開いて驚いた。
「サニー？」
ずぶ濡れのサニーが暗い表情で立っている。
「突然…お邪魔して申し訳ありません…」
「そんなことはどうでもいい。早く中へ…そのままでは風邪を引いてしまう」
ロビーのカーペットが汚れるのなどかまわず、残月はサニーを抱きかかえるようにして中へ通した。
黙ったままのサニーをバスルームへ連れていく。
「まずはその冷えた身体を温めることだ。着替えはないが…バスローブを用意しよう」
タオルとローブを用意し、こくりとうなずいたサニーを残して残月はバスルームを立ち去った。
リビングに戻り、紅茶の準備をする。
再び安楽椅子に腰掛け、煙管に一服つけてなにがあったのかを考えた。
サニーがリビングに現れたのは2時間ほど経ってからだった。
まだ青ざめているサニーをソファに座らせ、少し熱めの紅茶を入れたティーカップを渡す。
「飲むといい。少しは落ち着こう」
かちゃかちゃという耳障りな音に目をやれば、カップを持ったサニーの手が激しく震えていた。
「サニー、いったいなにがあった？」
サニーは遠くの床に視線を落とし、意を決したように口を開いた。
「残月さま、私…人を殺しました」
「む…！」
一瞬煙管を取り落としそうになったが、サニーもいまや十傑のひとり、そのような任務も仕方ないと
思う。
その反面、いったいだれがサニーにそんな指示を与えたのかと思えば苛立ちもした。
「手違い…だったのかもしれません。私も自分がどのような立場の人間かもわかっています。でも…」
サニーは自分の手を見つめた。
「人の身体に…あんなにたくさんの血が流れているなんて…思わなか…った」
「怖かったか」
残月の問いにサニーはゆるく首を振った。
「怖いとは…慣れたいとも思いません…でも、今は…今だけは…崩れてしまいそうで…ここへきて
しまったのです。もし、ご迷惑なら…追い出してください」
「そのようなことができるか」
残月はサニーの手を取った。
「血など洗い落としてしまえばそれまでだ。記憶もすぐに薄れる…私でよければ、そばにいよう」
残月の手で肩を叩かれてようやく落ち着いたのか、サニーは紅茶を口に運んだ。
残月は窓辺に歩み寄りカーテンを開く。雨はいつの間にかやんでいた。
「雨はやむ。夜はまだ続いているが…いずれ明ける。明けぬ夜もなければ、黒いばかりの夜もない」
そんなことをつぶやいてサニーを振り向く。
「ゆっくり眠るがいい。また、なにもなかったように朝がくる…」
ソファのサニーは紅茶に入れられていた薬のせいで眠り込んでいた。
蓄音機が終わったレコードのノイズを流していた。その針を残月が戻す。
「夜は、もうしばらくで…」